糖質制限実施中 その四 番外一日一食


最近はやっている糖質制限ダイエットとは別にもうひとつ「1日1食」というのがある。これがダイエットをうたっているかどうかは知らないけれど、帯にある「好きなものを食べても太らない」というコピーを見る限り少しはうたっているのだろう。
今回は番外ではあるけれども、1日1食を取り上げる。

取り上げたのは三枝成彰『無敵の「1日1食」』である。そこには絶大な効果があって、「疲れをしらずで頭が冴える」「いつまでも年を取らない奇跡の食事療法」などの言辞が並ぶ。いいことずくめのようだけれど、そこにある説得力は薄い。本当かなという気がしないでもない。でも、あの人もやっているし、この人もやっていると有名人の名が連なる。

通読して思うのはやはり一種のカロリー制限なのだろう。それはこの食事法と1年1回の断食をおこなっているということとも関係している。たえず身体を飢餓状態に置くことによる活性化ではないだろうか。もちろん飢餓状態だから何を食べてもおいしいだろうし、太ることは無いだろう。

三枝成彰の人生哲学は別にしても、いかにも何かをなすための食事法(みずから何か一般と違うことをしているのがお守りのように)のような気もする。それは信仰にも近いと邪推するのだが、自らを律して仕事をしていこうというのであるから、それ自体を批判してもしかたがないだろう。

どうもこれが一番いいという食事法というのはないのではないかと最近考えて初めているので、どちらでもいいわけだ。
極端な偏食でなければ、ヒトは柔軟に対応しているということではないだろうか。ここしばらく糖質制限に就いて考えてきてそんなように思う。
ところで、三枝は糖質制限については反対のようで、危険だというグループに属する。また自らの断食を実践する保養所のドクター石原結實との対談でもそれを強調している。その主張の中心は、糖質は地球上に最初にできた栄養源であって、人間にとって一番大切なものだという。石原いわく、
「基本的にヒトは糖分(糖質)と塩分と水があればいきていけますからね」という発言がそれを象徴している。これなど医師が発言するような言葉を象徴している。高濃度のブドウ糖液をベースにした中心静脈栄養の発想で、生きていくことは生きていけるけれども、〈食べる〉ということはこのエネルギーの補給とミネラル、水だけではない。生きていけることは生きていけるだろうが、それは生命を最低限維持するということであってそれほど長くもつものではない。まして食べる楽しみは完全にすてさられている。

糖質制限は糖質をゼロにしろと言っているわけではない。制限しようと言っているだけことなのだ。摂取しすぎだから。

まとめ

それはブドウ糖の体内でのインスリン爆発をできるだけおさえようということだ。とくに現代人は過剰に糖質を接種しすぎだから。それを1日1回にして制限しようということなら、これもまた糖質制限食ではないかと思えてしまうのだがいかがなものか?