日本人はどこから来たのかという問いの意味するもの

日本人はどこから来たのか?

日本人はどこから来たのか?

海部陽介『日本人はどこから来たのか?』は現生人類の出アフリカからはじまって日本にいたる過程を証拠に基づいて、それもコンパクトにしめしてみせた。おそらく日本人起源論の最大公約数的なものになっているのだろう。それぞれについてはこれまで読んでいたこの種のほんから知識はあったが、新しい知見に就いてメモしておこう。

A P−40アフリカ起源の現生人類(つまりホモ・サピエンスのこと)の中にネアンデルタール人と共通するDNAがあるとして、その割合は1.5〜2.1%と計算されているという。ただし、これは現生人類でもアフリカを除くというので、出アフリカ後に混血したのだとわかる。またネアンデルタールだけでなく「各地の古代型人類と混血したらしいのだ」ともある。

B 日本列島にホモ・サピエンスが住み始めたのは3万8千〜3万年前後、以前とする。
そしてそのルートは三つ、対馬ルート、沖縄ルート、北海道ルートであり一番早いのは対馬ルートだという。ただし、当時は80メール海面が下がっていたとしても、大陸との間には海峡はあったので、海を渡ってきたというのが重要。
また、この人たちは世界に類例のない台形様石器を使っていた。(ヨーロッパにもアジアにもないめずらしいもの)また、住居の跡が環状ブロック群を示す円形キャンプなるものであったという。これも日本以外では知られていない。
もう一つは黒曜石(p−141)について神津島への往復航海の証拠であり、行ったり来たりの可能性を前提にした渡航であった。ということはこの航海術を身につけた集団ということで、沖縄ルートからの人々の関与しか考えられないと結論している。

C 1万6千年から1万5千年前に縄文土器が発生した。

D 縄文系と弥生系
「人類学ではこの図式を日本人の「二重構造」と呼んできた」しかし縄文と言っても弥生と言ってもひとつではなく多様であった。
「篠田は関東と北海道の縄文人ミトコンドリアのタイプの違いに注目し、縄文のルーツが1つではない可能性を示唆していた」
等々

まとめ
読了して思うのは、外からやってきたものの混合という概念だろうか。色々なものが人々が入ってきたが、日本列島で新しくなったもの、たとえば台形様石器のようなものが花開く可能性こそが日本なのだ。

そうだとすれば、これからも外部のものが入ってくるということ。人も物も観念もということではないか。それをかたくなに拒否する必要もないということを教えている。