小の説へと心が向かっていないときは

小の説へと心が向かっていないときは


 小説へ向けて心が向かっていないときは、エッセイに向かうことになるだろう。その時はいつも心に不安が渦巻いているときだ。なんとか状況を把握したいとしているのだろう。それは情況という心の裏をあらわしている。そのことを、題材にしたがって、それに触れるかたちで言語化しようとしていると言える。
 何事かを書きあらわしたいということが先にあって、それを叙述しようというのではなく、書きながらつかみ出していく過程だということはエッセイにしても小説にしてもおなじことだろう。当然のことながら、それが融合していくことも可能なのだろうが、それを押しとどめて最後まで行き着くことができれば成功ということになる。
 そこで何をあらわしたいのかというと文字で説明することができないから、その周辺をうろついて、何かをあらわそうとするのだ。その何かに触れなければ、成功したことにはならない。