伊井直行『岩崎彌太郎』講談社現代新書を読む(1)

伊井直行岩崎彌太郎講談社現代新書を読む(1)

 おそらくこれから何度も言及するだろうから、今回は会社の成立には「公私の分離」が不可欠だったという点についてのみふれようと思う。つぎのようにある。
「先走って言っておけば、公的生活や職業と、私生活との分離は、近代において会社や会社員が誕生する上で不可欠の条件だった。(第九章参照)岩崎彌太郎が日本で最初の「会社」を作り出すことができたのは、彼のなかですでに「公」と「私」とが分裂していたからである」
 ここで言う公私の分離とは封建制の中では主従という関係において、主に対しては忠誠という丸ごとの自分があるだけでそこから出ることはないという意味で、主の意志はそのまま自分の身に降りかかるわけであり、それは絶対のものであった。それにたいして明治4〜6年ごろ岩崎彌太郎が土佐商会を藩から離れて個人事業とした時に、従業員に去就を問うたとき、残ったものは個人の意志でのこり、岩崎の配下に従事したという。このことは「個人の内部で生じた「明治維新」ともいうべき革命的な経験だった」とする。つまり個人の自由意志で決するということが重要であって、主の命によって従事しているというのでは会社ではないという。単に禄を受けているというだけのことではなかった。また付け加えて江戸時代の商家が会社とは呼べないのは身分秩序の下にあるからで自由意志による企業とはみなせないからだという。
会社の成立にこの「公私の分離」が欠かせないというのは明晰な仮説だと考えられる。
 会社の成立について議論はあるにしても(いろいろな会社が現在でもある)おおよそ明晰であると考えられるのであるが、伊井直行はこの岩崎彌太郎に会社の成立を見ているわけである。そして会社員と呼べるのもここに成立したと見ている。(本来会社員とは株主のことで本当は従業員と呼ぶべきだということを挟んでいるが、伊井の問題にするのは「会社員」だったから会社員で通そう)
そこで重要な記述に出会う。それは亀山社中に関してであり、近藤長次郎に関してだ。
 伊井は、亀山社中は会社ということはできないという。そこには結社的な要素が多分に残っており、公私の区別がなかったからだという。長次郎についてこう書く。
 「正義と利益とは、別の角度から見れば公と私である。近藤長次郎は私の利を図って、亀山社中海援隊内部の義=公を損壊した。これが純粋に利をめざす集団(会社)であるなら、懲戒免職=集団からの不名誉な追放で処分は終わるはずだ。しかし、亀山社中海援隊は、社会的な義=公を体現する集団でもあり、集団の規律を乱すことは、単なる内部規律違反ではすまない」
そして「龍馬関連文書」として例の「切腹せよ」という文書を持ち出す。しかし、その後の海援隊約規(このときはまだ亀山社中だったのだが)には、すべては隊長(龍馬のこと)が決するとあり、リンチはありえなかった。
おそらくこの龍馬関連文書というのは、吉村淑甫の『龍馬の影を生きた男 近藤長次郎』の中で引用している文書のことだろう。吉村は次のように引用している。
 「凡そ事大小となく相謀りて之を行うべきは、社中の盟約にして、此の盟約に背く者は、割腹してその罪を謝するの明文あり、不幸にして社中にその人あり、割腹して謝せよ」
 この見てきたような事を書いたのは坂崎紫潤という維新時の新聞記者で『維新土佐勤王史』の中に出てくるとある。吉村もかなりフィクションを含んでいると記す。本当にそのような盟約があったのかどうかは不明であるが、海援隊約規にはそうは書いていない。ともに話しあって事を進めろというだけで、むしろ徒党を組んで他のものを威圧してはいけないとある。独断専行を長次郎はとがめられたが、むしろ隊士たちのほうが組織による威圧であって、こちらの方が約規に違反していたのではないか。少なくとも彼らは脱藩者による自由意志で参加したはずだったのではないか。誰が切腹などを命じることが出来たのか。(主従関係もないのに)
 それではこの事件はなぜおきたのか。それは、はからずもこの文章が伝えている、「不幸にして社中にそのひとあり、切腹して謝せよ」とある、この浪花節的な滔々と正義を語る口調に図らずも実情を写しているのではないか。男の嫉妬ではないだろうか。長次郎の功績に対する嫉妬だ。男の嫉妬ほど始末が悪いものはない。私のサラリーマン時代にも何度もこの種の嫉妬を見てきた。なぜ始末が悪いのか。それは正義の衣をかぶって振り回すからだ。しかし、すこし考えればわかるようにその正義は薄っぺらなものだ。切腹させてなんの得があるというのだろう。なにもない。この事件の処理はせいぜいが、伊井の言うように懲戒解雇という名の追放ぐらいのことだ。そこには長州へ軍艦斡旋の功績に対する嫉妬、やり手の近藤長次郎に対するやっかみを感じる。もちろんやっかみもあったと先の本にも書かれているが、此れが現代でも仕方がないかとなり、龍馬も仕方がないとした。これは封建制の問題ではなく、現在にも通じる組織上の注意すべき問題点ではないのか。私たちだって、つい正義面して約束を破ったのだからしかたがないと言ってしまう愚かさをかかえている。
 長次郎も海外へ出たいならなぜ根回しをしなかったのか、独断専行が許されると思い違いをしていたのだろうか。海援隊約規にもあるように、知識の習得、修業勉励は推薦されている。そこで海外へ勉強にでることは許されるとでも思ったのだろうか。なぜ、隊士たちに飲み食いをさせ、自分の思いを事前に語っておかなかったのだろう、という疑問が残るが、そこはやはり「にわか武士」としての長次郎に臆するところがあったのかもしれない。また長次郎は「にわか武士」なので理念的にしか武士を知らない。これは武士では切腹ものだといわれればそうかもしれないと思い込んでしまった節がある。吉村淑甫は介錯もなしに切腹させられたと記している。
 亀山社中隊士たちは脱藩し自由意志で亀山社中に参加している、ただ会社成立への条件として利益第一ということだけは、長州へ軍艦を斡旋しながらマージンを取らないで礼金だけというおそまつさであるので、政治結社的要素がまだまだ残っていたことは間違いが無い。しかし、「社会的な義=公を体現する集団」の内部規律を乱したのだろうか。亀山社中を撹乱し分裂させようとしたのだろうか。むしろ伊井の論法は封建的遺制としての義=公ということではなかったのか。私はこれは義などというものではなく、単純な別にどうでもよかったのに、独断専行にかこつけた男の嫉妬ではないかと思う。
 以上公私の分離が会社成立にとって不可欠であるというメルクマールを承認しつつも近藤長次郎事件の解釈にすこしだけ異議をさし挟んでみた。ここで言う公私の分離は現在でいう公私の分離、つまり公私混同するなという時の公私とは若干違っている。
 そして近藤長次郎こそ、不幸な出発ではあったが、日本サラリーマンの嚆矢ではないかと考えている。なぜなら現代につながる問題をかかえもっているからだ。(会社員とサラリーマンは概念が違うと伊井直行は言っている。いずれ論じたい。)