ブログの文体について8

ブログの文体について8



一枚のブログの言表とそれをつらぬくタイトルとしてのブログという位置について考えてみよう。この〈はてな〉のブログであれば、××さんの日記として、日付単位でなされている。
日記といっても様々なものがあって、ごく私的なものから作業日誌のようなもの、ビジネス記録のようなもの、官房長官の日々の発表型のものまである。
それらは始めに設計された意図に拘束されている。
エッセイはエッセイ風に広告は広告風に。
その文体はその文体をつらぬけばいい。
でも、もうひとつ、日々一枚の発表形式であったとしても、それらを様々な文体の発表の場、つまりブログ自体を自分にとっての掲示板ととらえれば、文脈の一貫しない様々なブログの登場にはそれを整理する別のブログ(メタブログ)を必要とするだろう。ブログの中でパーティションを切り出すのもひとつであるが、リンクして別の画面に切り出すという方法もある。
カフカの日記は日々の感情の吐露というだけのものではなかった。作品の断片であったり、書き出しそのものであったり、短編だったりした。カフカ自身はそれを演習という軍隊用語でよんでいたが、まさに実地訓練を日記でやっていたことになる。まさか、本人はこれが読まれるとは思っていなかったのであるが、(いや、書くということは他人に読まれることを前提にしているので、すべてを破棄してくれとたのんでも誰かに読まれると思っていたかもしれない)そこには様々な試みがなされている。そんな演習の場があってもいいのだ。