ブログの文体について7

ブログの文体について7

ハイパーテキスト的な文体とシーケンシャスな文体とを分けた後に、シーケンシャス的なもののもつ文体の可能性を詩的言語とアフォリズムにみようとした。
それではハイパーテキスト的なものは具体的にはどのような文体なのかというと、それは近代においてあらわれた新聞と小説の文体のうち新聞の文体をさしていると思われる。いや、それに近いということだ。百科辞典の文体よりもよりアクチュアルであり、時間軸にそっているという点で新聞に近いと思える。
おしゃべりのパロールという直観から出発して、その対極にあるような詩的言語で記述してみる工夫までにたどり着いた。しかし、有効たりえるかどうかは不明である。
また、詩的言語は意味の運搬体としてはかなり問題があるので、意味を整合性あるものとして規定するには不向きである。むしろそれ自体として把握する方向でないと意味をなさない。そのものとして受け入れるということである。