ブログの文体について3

ブログの文体について3


本来ブログの文体についてというよりも、電子画面上の文字を読む文体のことで、特にブログにこだわっていたわけではない。インターネット上での文字の記載についての手法は横文字で30〜35字にして段落に分けるほうがよみやすいとされる。それはあくまで読みやすいという工夫である。携帯電話でのようにより小さな画面で判読ということではもっと工夫がこらされることだろう。それらを問題にしたい訳ではない。
考察への前提にしたいのは、すべてのエクリチュールは文体を持っており、かつその文体を支える思想を持っているということである。いやむしろ思想とは文体の事であるとまで考えられる。(本当は違うのだけど)
詩や小説だけに文体があるわけではない。(註1)新聞には新聞の文体があり、ビジネス文書にはビジネス文書の文体がある。特段意図した訳ではないが、長年かかって形成されてきた。ブログはまだ形成途上であるといえるだろう。いかし、なんらか思想を持っている。そうであるなら、ブログはどのような文体を採用しているのだろうか。それはおおむね共感を呼ぶための猫なで声の文体とでも呼べばいいのか。その語り口はいい人ぶって、同意と共感を求めるパロールに終始している。それはかたりかける文体でもあるのだ。
その背景には伝えようとする内容もあるのだが、その殆どは気持の伝道である。気持の共感こそが求められる最大のものではないか。そしてそのブログ上にあらわれた文体の行き着く先が〈現在〉をあらわしていると考えることは不思議ではない。



註1

鮎川信夫「文体的思考」『文体』6号1079年所収
「詩でも小説でも批評文でも、あらゆる書きものには、文体がある。ある作品には文体があり、他の作品には文体がない、というようなことはない。言語作品であるかぎり文体から逃れようがないのである」
この論をエクリチュール一般まで拡大できる。