ブログの文体について2

ブログの文体について2

情報メモという視点から論を展開すれば、あくまでブログ上の言説はインフォメーションにしかすぎないということで、そこには語られたものでしかないという文体でもある。
しかしながらことばがすべてではないように、すべてを語りつくすことはできない。グーグルでいくら検索しても、そこに情報がないことには検索は不可能なのだ。無い情報はどこを探しても無いというのは真実で、ありあまるような同じ情報の山の上にも裾野にも無いものは無いのだ。
また知識のパラダイムを越えるためには単語を入れ替えなければならない。つまりは新しいワードを用意して、そこに意味を込める以外に方法はないのである。文体の工夫はワードの更新によってなされる。まさにパロール話し言葉なのだ。アクセントを入れ替えることによる意味の変容、これこそがパロールの本質であるが、これをなす事以外にパラダイスの変更は可能でhあない。それではそれをどのようにブログにもちこむなかというと文字の変更以外にはない。クラブはくらぶと表記し、お得意の絵文字も入るだろうし、→だってある。漢字の音だけをあてて表記することもあるだろう。


      丁丁丁丁丁
      丁丁丁丁丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁丁丁
塩の海   丁丁丁丁丁
  熱   丁丁丁丁丁
  熱 熱   丁丁丁
    (尊々殺々殺
     殺々尊々々
     尊々殺々殺
     殺々尊々尊)
ゲニイめたうとう本音を出した
やってみろ   丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
  何か巨きな鳥の影
  ふう    丁丁丁
海は青じろく明け  丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある


         (宮沢賢治「丁丁丁丁丁」『宮沢賢治全集2ちくま文庫版』)