夏休みをもらって家でゆっくりしていると、けっこう暇な時間があって、新聞などを読もうと思ったが、今日は新聞が休み。しかたなく、昨日の新聞を点検していたら、柴田元幸『バレンタイン』(新書館)に関する記事を見つけた。「中学生のためのブックサーフィン」のページで西加奈子がコメントしていた。「素晴らしく美味しい飴玉を大切に舐めているような、そんな気分になれる一冊です」というこの77年生まれの作家にとって、グリコの景品やら、ポイント券、果ては生まれる前の50年代60年代日本の情況というのはどのように映っているのだろうか。私達が昭和初年のモダニズムを勝手に想像しているのと同じようなものなのだろうか。
 記憶はそれだけで文学の対象になりえるが、それが思い出となるとかなり美化されてしまうのは避けられない。しかしながら、このテイストは西加奈子の言うように幸せなものかもしれない。この大学教授にして翻訳家はやはり本当は文学者を目指しているのだと分かる。
この翻訳者の訳したものではスチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』(白水社)が面白かった。このテイストにも似ているようで、決して大文学ではないが好ましいものなのかもしれない。これまでこの手のものには縁がなかったので妙に新鮮に映っている。理解の手がかりを得たように思う。村上春樹もおそらくこの系統なのだ。