橋下徹・堺屋太一『体制維新‐大阪都』を読んだ

橋下徹堺屋太一『体制維新‐大阪都』を読んだ



 堺屋太一の文脈では、大阪を復活するには人事やちょっとした手直しではダメで体制を変える以外にないというものだ。それが大阪都構想につながっている。また、これは大阪ひとつだけの問題ではなく、日本全体が大阪のようになっているという認識とつながっている。
 大阪都云々よりやはり日本全体のことであることに変わりはないのだけれども、大阪そのものが戦前にも特区だったことにより大大阪を実現していたのだと言うことを考えるなら、大阪特区のことも同じように、いち大阪の問題と言うよりは日本のもんだいとしてとらえた方がいい。いちローカルとしての大阪を日本のこれからのために新たに創生していくのだという日本レベルでの課題であるということでもある。射程距離はそこまであるということが分かった。
つまり(A)本流としての変革(システム変更)から日本の変更へという論理と(B)いちローカルとしての大阪から、日本の二都としての大阪の復活ということ。大阪の文化芸術は衰退しているんじゃないという事実。新しい文化芸術も産業も文学も大阪から起こるという問題。(大阪とはなにか?コテコテの大阪というディープサウスというステレオタイプなものでいいのかという問題)

 その要点達はこうだ。
1都市間問題が起こっている。東京都、大阪都の競争相手はニューヨークであり、パリ、ロンドンであるということ。
pー40「都市間競争に勝つためには、まず基礎事自治体に力があって、その上に広域自治体が広域行政を担うという、二段組の行政機構にならざるを得ない」
2ニア・イズ・ベターの考え。近いところが行政の決定権を持った方がいいということ。
3P−76「一点突破の全面展開を考えます」ということばがでてくる。いまさら全共闘か?
4国の成長戦略ではなく地域の成長戦略であるべきだ。日本のように成熟した社会では中央の号令で進めるというのはありえない。ここでも地方分権という金よこせの権力闘争が始まるということ。
5これはあくまで地方自治の政策であるということ。国と地方ではマクロ経済とミクロ経済ぐらいの違いがあるということ。そうだとすると大阪維新が国政にでていくには無理があるかもしれない。
6「君が代」の斉唱は思想問題ではなく、組織の決定に従えるかどうかだという。これはうさんくさい。今更のアナクロニズムを持ち出してくるのが分からなかった。それが実は会派としての自民党を取り込むための策略だったと気づいた。そいうことかと思った。(これを書いたあとで、卒業式で校長が斉唱を本当にしているのか口元をチェックしているということが分かった。愚劣だと怒りを覚える反面、政治とは愚劣なものだと思い返してそんなものだろうと確信した。しかし起立してみたが口を動かさなかった教員はすでに敗北しているので、政治的にはすでに勝負はついているのに後追いするのは愚劣だと考える)
7そして大阪について、こう述べる。大阪市が大阪であったのは大正までで、いまは府下全域にひろがっている。古典的な大阪のイメージはすでにないのだ。大阪都構想が大阪人という魂を分けるものではない。
 このような主張は大阪なるものが過去にあったというものではなく、これから先の未来にあるということを語っている。これからは過去の大阪にこだわってはいけない。これからが大阪になるのだ。
主張はともかくこの構想がうまくいくという保証はどこにもない。政治的には一気呵成に突き進まないとなにも実現できないだろう。反対勢力が盛り返さない内にどこまでできるかという時間との戦いにあると思われる。