アラン・ド・ボトン『旅する哲学』集英社

dokusyoin2006-03-12

書評

アラン・ド・ボトン『旅する哲学』集英社

 K女史より薦められたのだが、大型書店をさがしてもみつからなかったので、そのままにしていたら、量販スーパーの書籍売り場でふと見つけた。おっ、これだと思い購入しさっそく読んでみた。
 旅を表現するのに、こんな文体があるんだと発見した。小説風叙情でもなく、詩でもなくエッセイ風でもない文体だった。
 たとえば旅に出発する前の空港を描くための記述。「離陸には心理的な喜びもある。素早い機の上昇は、変身の曲型的なシンボルだから。この力の誇示は、わたくしたちを刺激して類似の行動を、自分の人生の決定的な変化を想像させる。自分もまた、いつの日か、いま頭上にのしかかっているものの遥か上にのしあがることを夢見させる。」こんなふうだ。
 そして、なぜかふと通りかかっただけのサーヴィスステーションや、なんでもないモーテルにそして空港や列車の車両に我々は詩情を見出すのかについて分析している。「わたしたちが無意識に、普通の地面に根を伸ばした世界の利己的な安楽さと慣習と息苦しさに対する別の選択として、そのように切り離された場こそが大切な背景を差し出してくれている。そんなふうに感じているせいなのだ。」と解釈を述べている。まさに卓見だと思う。
 せっかく魅了した文体は、第三章以下、フローベルのエジプト旅行に言及したり、フンボルトの『新大陸熱帯地方紀行』をあつかいだすと一気に批評文体にもどってしまう。エキゾチックや、未知なもの、自然、そして芸術をあつかいだすとついていけない。知識も結構だけれど、旅行に出てまで得たくないという気分におそわれる。
 この書『旅する哲学』の原題は『THE ART OF TRAVEL』で、哲学というよりは(アラン・ド・ボトンはロンドン大学の哲学の教官らしいが)むしろ「旅の技芸」というものであって、経験より得られた知、つまりテクネーに由来する。旅を豊かにするテクニックについて書かれている。しかし、発見すべきは、旅そのものよりも、この文体であろう。